天気がとてもよかったので、
鎌倉文学館まで出向いてきました。
まだ紅葉の残る清清しい鎌倉の初冬でした。
日曜日までが川端康成と三島由紀夫の展示なので、
なんとか間に合いましたw
僕は、恥ずかしながら、
両者の作品に親しんだことがありません。
そんな前提で展示へ出向いたわけですが…、
終生の師友。
とても高尚な関係ですね。
昨日はコミュニケーションについて、
拙い文章を書きなぐったわけですが、
人間関係なんてのも、
それはそれは軽薄な観念になりつつあるのではないかと、
懸念してみたりするわけです。
「師友」なんて、現代で、日常生活の中で使う言葉でしょうか。
お互いを尊重し、高め合って、
という、それは本来通常の「友人」においても、
そのようであって然るべき出ないかと思うんです。
あまりにも他人の欠点を穿鑿する連中が多すぎる。
テレビなんて付ければもううんざり。
まぁこんなことも一般論に過ぎないでしょうがね。
少なくとも僕は支持します。
「愛」なんて言葉はみんな恥ずかしいのでしょうかね。
平気で日常で使う僕も僕なのですが←
現代人、特に青年期の男女に、
心から「愛」を追求しようと出来る人はどれほどいるんでしょうね。
頭でわかっているふりをしている奴らが多すぎる。
少なくとも僕の周りには。
それは「愛」その言葉さえ置き去りにして、
衝動のままに「おままごと」を始めるからだ。
「好き合っているならいい」
「今が楽しければそれでいい」
まるで薄っぺらい。
俗に言う「やった」「やらない」をひけらかすのは
いつだって人その人の本能。
が、そこにどれほどの「愛」が存在するのか。
自己愛としての「エロス」をあまりにも狭義に、
恣意的にとらえすぎているのではないか。
下らない自己満足(「プライド」と呼ぶにはあまりにも無粋だ)
のために互いの人生を弄んでいるようにしか見えない。
(それは風潮それ以外のなにものでもない)
それで何もかもわかったふりしている連中には
本当に腹が立つ。
社会も社会でそういうのを擁護するような
音楽や映画、諸々の風潮を起こすからいけない。
甘やかすからつけあがるんだよ。
視点を変えれば僕が一番に、
「愛」を知らない人間になるでしょう。
それは自覚しています。
まず、本能的に向き合おうとしない。
それが、出来ないわけではないが、
どうも性格上、自己制限をかける癖がある。
何度それで失敗したか(ぁ
中世、近世のフランスを初めヨーロッパ圏には顕著に
僕とは正反対の人間が溢れ帰り、
今日の恋愛事情に至っている。
古代人が求めた「愛」はどこへいってしまったのか。
「愛」は決して論理的に語り得るものではないと思います。
しかしだからといって、
それを盾に彼らのしていることはあまりに不毛だ。
まぁ、そんなことはどうでもいいのです。
今僕が生きているのは紛れもなくそんな社会ですから。
戯言が過ぎました。
ぁ、別に病んでるとかそういうのじゃないんですよ?笑
折角なので物を書きたくなったのですw
気分を害した方はごめんなさい;;
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